ラベル フェルデンクライス創始者 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル フェルデンクライス創始者 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年12月14日木曜日

発達障がいの子どもとフェルデンクライス

メソッドの創始者であるモーシェ・フェルデンクライス博士は、
脳性麻痺など発達に障がいを持つたくさんの子どもを支援してきました。

今回は、まだ深く触れていなかったお子様とのエピソードをご紹介します。


・.━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━.・
エピソード1
『脳の一部を欠いた少女』

少女の名前はエリザベス。
運動、思考、バランス維持、小脳の3分の1を欠いて生まれた。
専門用語では「小脳低形成」と呼ばれ、現在のところ治療法は存在しない。

理学療法や作業療法を受けたが、彼女にとっては苦痛だった。
生後4ヶ月で医師からは、「彼女の脳は全く発達してなく、今後も発達しないだろう」「今後、座ることもできず、失禁を抑えることもできず、施設に入る必要がある」と言い渡された。
彼女を診断した医師たちは、従来の治療の経験からはそれ以上のことを言えなかったのだ。

しかし、そのような診断を下されても、彼女の両親はあきらめなかった。
「不可能を可能にする医師がいる」との情報を手に入れ早速モーシェの元へ診察に訪れた。

その時エリザベスは生後13ヶ月だった。
四つ這い・腹ばいでのハイハイはできず、自発的な動作は一方向のみ寝返りを打つこと以外何もできなかった。

フェルデンクライス以外のセラピストの多くは、無理に座らせようとしたり、彼女の発達段階に合わないことをさせ、失敗していた。
自分がどのように"学習"をしてきたのか。それに沿って自発的に学んでいかなくては、本当に彼女自身の学びにはならない。
モーシェは彼女の左半身に痙攣があり、特に足首に筋肉の塊があることに気がついた。
まずはそれを和らげることから始めていった。

そして彼は、両親にこういった。
「彼女は問題を抱えていますが、なんとかなります」
「まずはこの足首の緊張を和らげていけば、彼女の振る舞いも全く変わるはずです」



(これはモーシェの施術ビデオに残されている一回めのセッションの様子です↑
エリザベスは終始泣きわめき、ハイハイすらできませんでした。)

しかし、2・3日後、
モーシェの言った通り、彼女は自分でハイハイをしだしたのです。

モーシェは子どもがどの発達段階にあるかではなく、学習できるかどうかを脳で判断した。
子どもの状況により様々であるが、彼は自信を持って、
「彼女は賢い子です。結婚式ではダンスをしていることでしょう」
とまで言ったのである。

それから、2〜4週間モーシェの元を訪れるために、エリザベスの両親はどんなことでもした。





一ヶ月の間のセッションで彼女は別人のように進化した。
泣きわめかなくなり、自分の体をよりよく取り扱えるようになった。
ハイハイはもちろん、両親に掴まりながら、歩けるまでに成長していった。

(画像は当時の様子です。↑見ての通り骨盤から頭まで、背骨を弓なりにして、
自分を支えられるまでに成長しています。)

その後エリザベスは、30代になり、一流大学の2つの学位を持つ。
小柄な女性で、美しい声で喋り、とてもスムーズに歩く。

彼女がかつて、一生歩くこともできず、施設に入れられるか、せいぜい知能発達の大きな遅れで済めばまだマシだと宣告された人物とは思えないだろう。

脳性麻痺の後遺症はいくつか見られ、数や科学は苦手であるが、それ以外は学ぶことを楽しみ、古典の作品など様々な本を読み知的な生活を送っている。

彼女は小さな会社の経営者であり、幸福な結婚生活も送っている。

そしてもちろん、結婚式では”ダンス”をした。


<著書:脳はいかに治癒をもたらすか/ノーマン・ドイジ>より

・.━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━.・

このエピソードを読んだ時に、深い感動を覚えました。
実際に数回目までエリザベスとモーシェのセッションを映像で観ることもでき、
どんどん変化していく彼女の様子には本当に驚きました。

何より、モーシェの温かな眼差しや子どもへの接し方、「この子は全部わかっている」と子ども扱いせず、その子に全て話しかけてる様子には尊敬の念がさらに増しました。

モーシェだからできることですが、少しでもそのスパイスを取り入れて、
お子様のサポートをしていけたらと思っています。

2016年5月6日金曜日

今日はモーシェのお誕生日☆

こんばんは☆
京都でフェルデンクライスをしているアカリです。

今日、5月6日はフェルデンクライスメソッドの創始者モーシェフェルデンクライス博士のお誕生日です。


それにちなんで、まだお話しできてなかったモーシェの逸話をご紹介します^^
(以前までの記事はこちらをどうぞ→モーシェフェルデンクライスについて


ヨーロッパ初の黒帯の保持者であったモーシェ。
日本で柔道の父とも呼ばれる嘉納治五郎さんとの親交もありました。
 小さい頃見ていたYAWARA!のおじいちゃんのじごろうさんのモデルとも言われてるスゴイお方ですね。


そして、これが若い頃のモーシェ。
イケメンです!

紛争地域のパレスチナに暮らし、自分の身を守るために柔術を身につけていました。
実際に殺されてしまった仲間も多かったそう。
柔術を習っている人より、何も習っていない人のが生き延びることも。
「向かって行くより」「逃げる」方が勝ったのです。
なんとも奥深いことなんですが、「やろう」と思ってしたことより、
何も考えずに「した」ことのが上手くいった経験ってありませんか?
それが生死を分けるとなると皮肉なものですが・・。
こんな人間の初動も基となりフェルデンクライス・メソッドは作られていきます。

無意識にしている「学習」の『仕方を学ぶ』ことを教えはじめたのです。

そして、1962年10月にこんな写真が”TIMES誌”に掲載されました!!



こちらはモーシェではなく、イスラエルの初代首相”ベングリオン”さんです。
普通に考えて、首相が浜辺で三点倒立しないですよね。

当時、建国のことに力を注ぎ自分の健康に関して目を向けていなかったベングリオンさん。
体の調子を崩していたところに、モーシェへの依頼がきました。
この三点倒立はそのレッスンの『成果』です。
がんばってやったんではなく、自然と「できちゃった」んですね。

当時76歳。レッスンを受ける前は立ったり歩いたりするのも困難だったそうで驚きです。

この「三点倒立」までのプロセスは、モーシェがアムハーストで開催したコースでもレッスンされています。
約235名が真剣に自分と向き合っていったわけです。
もちろんレッスンでは三点倒立をすることが目標ではなく、そこに抱く「恐れ」や「不安」をどう取り払うか、動きを通して学んでいきます。
誰も最後に三点倒立になるなんて途中まで予想していなかったそう。

実はこの動き、わたしもコースの中でやりました。
わたしは三点倒立まではできなかったんですが、不思議なことに首や他の体が楽になっていったのを覚えています。
またチャレンジしてみたいな〜。

他にも奇跡的なFIで人々に喜びと新たな好奇心を与え続けたモーシェ。
当時のFIの映像をみても、そのレッスンのバリエーションの多さ、生徒との関わり方はとても勉強になります。

コースに通い始めたときは、自分の体の変化に感動しながらも、
これを人に伝える難しさも同時に実感し、投げ出しそうになるときもありました。
理論と自分の生活とのギャップに悩むときもありました。
それでもできないと諦めていたことが、自分のものになっていく体験がわたしを勇気づけてくれました。

理解するのに時間がかかった分、そんな人の気持ちも考えた教え方ができる。
それがわたしの強みでもあるのかな。
まだまだ学び続けていきます!!

Thank you moshe~‼︎

Happy Happy Birthday~♡



「あなたの中の本当の弱さをみつけて、それに負けてしまいなさい。
そこにあなたの才能をいかす道があります。
ほとんどの人はそれを克服しようとしたり、隠そうとすることに人生を費やしてしまう。
自らの弱さを受け入れ、自身を分裂させない人、そんな人は非常に稀です。
でもどんな世代にもそんな人は少しはいます。
そして彼らはその世代を導くのです。」
−by Moshe Feldenkrais-

2016年1月13日水曜日

モーシェ・フェルデンクライスについて その2

こんばんわ。
京都西陣でフェルデンクライスをしているアカリです。

よく「フェルデンクライスしてます」ってゆうと、
「フェル??!!」
「なんだったけ、アカリのやつ、フェル??」
という、みなさん定番の反応をしてくれます。^^

わかります。よ〜くわかります。
どうしたら覚えやすくなるのかな〜^^

同じプラクティショナーの父からは「フェルデンクライス・メソッドが正式だよ」
と余計長いアドバイスを受けたりもします。

私たちはみなさんを困らせるためにこんな長い名前を付けた訳ではなく、
フェルデンクライス・メソッドを創ったのが、
モーシェ・フェルデンクライスという天才的な人物だったからです。
今日はまだ紹介していなかった、
モーシェの経歴をご紹介します!!



モーシェ・フェルデンクライス(1904-1984)
若いころから運動神経がよく、サッカーや柔道を習っていました。

1930年にはパリ・ソルボンヌ大学で物理学位を取得。
機械工学・電気工学の学位も取得。
ノーベル賞受賞者のジュリオ・キューリー研究所で働いていたことも。

また、潜水艦の防御装置の開発で特許も取得しています。

そして、ここがモーシェのすごいところ↓
サッカーのケガが悪化し、完治の見通しがないほどになった膝のケガを、
手術することなく自分で治してしまったのです!!

ベッドの上で毎日身体をあちこち少しづつ動かし、
それがどう脳神経系や筋肉感覚に影響するか、
科学者としての鋭い観察眼で見つめました。

フェルデンクライス・メソッドは
「動き」を基にしていますが、
大脳・神経生理学、解剖学、心理学、言語学、精神医学、ヨーガ、柔道 etc...
フェルデンクライス博士の
叡智が含まれたメソッドなのです。





この他にも、博士のOMOSHIROエピソードや考えはたくさん。
またゆっくりご紹介していきますね〜♩

読んでくださり、ありがとうございました^^

(よろしければ過去ブログ→モーシェ・フェルデンクライスについて その1もどうぞ)

2016年1月5日火曜日

モーシェ・フェルデンクライスについて その1

ティーチャーズコースのお手伝いを終えて、京都に戻ってきました。
コース中にエラット先生が初めての方に向けて、モーシェの紹介をしてくださいました。
モーシェの経歴はたくさんあり、いつも何を紹介していいか迷ってしまいます。
ブログでもまだ紹介してなかったので、まずはそちらを参考に掲載させていただきます。


モーシェ・フェルデンクライス(1904〜1984)
ロシア生まれの物理学者。
13才でイスラエルに移り、道路整備や家の建設などイスラエル建国に携わる。
その後パリで科学や工学の博士となる。
その頃から「人はどうやって学ぶのか」、「動きを通しての学び」について興味をもつ。
自己防衛手段として柔道を学ぶ。
日本の「柔道の父」嘉納治五郎と出会う。
ヨーロッパ初の柔道会を開く。

その後も、
「どのように人は新しい行動様式を身につけるのか」
「なぜ人はある段階で成長が止まってしまうのか」
という観点から、
”子供の成長過程”に注目。

その学びをフェルデンクライス・メソッドに応用する。

−人は何歳からでも学び続けることができる−


モーシェは、昔のことを取り戻すのではなく、「新しいことを学び続けること」を大切にしました。
他のメソッドと異なるのは、「自分の思ってもいなかったやり方で、何かができるようになる」という、新しい発見ができることです。
フェルデンクライスは、治療ではありません。

あなたの中にある「学びや好奇心」を大切にします。